一人の女が兄弟7人の妻になったというあり得ない例えで、サドカイ人はイエスさまを試した。復活を否定するための無知な屁理屈である。よみがえったときは誰の妻でしょうなんて・・。
イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。
人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。(マルコ12:20~23.25)
創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れ、
ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。(マルコ10:6~8)
一心同体の関係は、片方の死によって解かれる関係であった。だからこそ限りある時間の中で、真実に愛し合い、時には忍耐をもって慈しむ大切な時間なのだ。それが造り主の定められた結婚、とても不思議な関係である。
夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。(ローマ7:3)
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。
弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」(マタイ19:9~10)
時代背景もあるとは思うけれど、弟子の率直な言葉におどろいた。
けれど、結婚がこの世限りの儚いものであるなら、「命のある間は、互いに弱さや欠点を覆い合って、精一杯尽くし合うことに使おう」と思えるのではないか・・。みことばにある主の祝福のストーリィを知るなら、この世ですべてを満たそうとして、互いに苦しむこともないのではないかと思った。
あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。(イザヤ54:5)
復活の時すべてのキリスト者は、まったく新しくされた花嫁として、永遠の愛である完璧な夫に嫁ぐのだ。そこではすべてが完全に満たされるのだ。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事