石ころ

舌を制御するもの(ヤコブ3章)

 

舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。(8~10)


誰でも心にある事が口に出る。心に他人への責め言葉を詰め込んでいるのは、思い通りにならなくて駄々をこねているようなもので、その人に平安がないからである。
そのような状態で口に出すことを我慢しても、腹が爆発するまで膨れてゆくばかりでなんの解決にもならない。


キリスト者は聖霊による守りがあり、キリストの約束のことばを蓄える者に、確信と平和を与え、うちにみことばの希望が充満している。

そこには不信仰な絶望が入り込む隙はなく、今、思い通りではないからと苛立つことも、妬むことも、支配する必要もないことを知らされる。


キリスト者の舌を制するものは、主に信頼する希望である。良き方の種の成長は、主に信頼する祈りの中で見ており、平安はみことばに聴いているのである。


しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます(17~18)


移り変わることのない主のお交わりの中で、日々補強される約束のことばがあるなら、あらゆる出来事に対しても望みが失われることはなく、主が一つひとつ勝利を取ってくださることを、経験させてくださるからである。


キリストの体を守る聖霊の働きは、すべてのことにおいてみことばを指し示し、それを解き明かして、神の選びに拠る安息をたまわるのである。


神は私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。(エペソ1:4.7)


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