石ころ

世の終わりの備え②(ルカ21章)




 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。(ルカ21:9)

世はあらゆる情報で溢れており、これからもっと色々なものを見聞きして、どのように身を守ろうかと、右往左往するようになるのだろう。

イエスさまは必要なことは「一つだけ」と言われた。それはマリヤのようにイエスさまと居ること。それであらゆる時代に対処できる。主を信じる者は、すでに御国に永遠の住まいを持っているから。

しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
それはあなたがたのあかしをする機会となります。

それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。(ルカ21:12~15)


 私は説明することがとても苦手で、まして人を説得することなど始めからやる気はない。12歳ですでに両親を亡くして財産も無い子どもの言葉など、誰ひとり耳を貸さなかった。私は言葉に絶望しているひび割れた器なのだ。

主をお知らせするための忍耐も希望も、口移しのように一言ずつたまわらないと何もなく、蓄えたみことばも、聖霊に運んでもらわないと自分では持ち出せない。
ひび割れてどんどん漏れていってしまうような者に、主が言葉を注いでくださるのは、世を愛しておられるゆえである。

しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、
わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。
あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。(ルカ21:16.18)


神の家族となるべき選びの民に、イエスさまは妬まれ憎まれ殺された。しかしその十字架の死を通して、罪のために罰せられて滅ぶべきいのちを勝ち取ってくださった。キリスト者はイエスさまの御足跡を歩む者である。

私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。


いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。(Ⅱコリント4:8~11)


今、私たちは主に拠ってすべてを備えられて生きている。迫害の日に裏切られても、殺されても、憎まれても、主の御愛といのちは髪の毛の一筋も失われないのだ。

そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。(ルカ21:27~28)


からだを真っ直ぐにし頭を上げよ。その日には、聴いているみことばに信頼して、心の内に抱いてきた者たちを置き、主だけを見上げる時なのだ。働く時は終わったからである。
そうして、霊にある祈りの中で、滅びることのないみことばの成就を迎えるのである。

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