「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。
もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」(マルコ11:2~3)
主のご用を果たす時は、まず初めから終わりまでしっかり聴いて覚えておくこと。それから動く時すべてはもう備えられている。
そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(マルコ11:7~10)
生まれてからずっとイエスさまを待っていたロバの子は、背に柔らかな上着を掛けられ、柔らかなものの上を歩く。温かな主の体温を感じながら・・「ホサナ」の声の中を晴れがましく歩く。
ご用が終わって元に戻されても、ずっと主の温かさを感じ、その方をほめたたえる声を聞き続ける。主に用いられることはなんと幸いなことだろう・・。
葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。
イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」弟子たちはこれを聞いていた。(マルコ11:13~14)
自然に任せて成らせる実で、イエスさまの空腹を満たすことは出来ない。主の必要を知る者によって付ける実がご用を果たす。マリヤの香油のように・・。
主は、「何をして欲しいのか」と尋ねてくださる。キリスト者も絶えず聖霊に拠って「今、何がお入り用ですか」と聴き続ける。
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