石ころ

従順の守り(エペソ5章)

 

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)
ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。(エペソ5:1)


倣うとは完成者であるキリストに留まり、何時も「私の主」を意識していることである。キリストの真似はできず、してもそれは偽物だが、信仰者はキリストの霊を頂いる。聖霊はみことばを用いて、従順する者を日々に導いてゆかれる。此処に完成される望みがある。


また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ5:2)


主の完成してくださったうちに在って、私たちも完成される。私たちの捧げものはキリストを愛して捧げる感謝の賛美である。キリストを喜ぶ喜びの絶えざる賛美であり、その捧げものは私たちに安息をたまわる。


あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。(エペソ5:3)


悪い言葉は、聖霊を無視することで口にできることであり、それは自らを汚す結果となる。そもそもこれらのものが入ってくるのは、心が空しくなっているからで、キリストの臨在を意識せず、みことばを住まわせていない、霊の無防備による。


あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です、──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。(エペソ5:5)

此処にはっきりと、「神の国を相続することはない」と書かれてある。


むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。
ですから、彼らの仲間になってはいけません。(エペソ5:6~7)


空しい言葉を聞いて同意してはいけない。否むことによって聖さに保つことができるが、近づかないことが最善なのである。「誘惑は避けなさい」といわれてある。議論は仲間のすることなのでそれさえ避けるべきである。


あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──
そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。(エペソ5:8~10)


光の子どもは、キリストに在って暗やみから、光の中に移された者として、証のためのレーマを持っている。それをしっかり握っているなら揺り動かされることはない。主の喜びの中にいるからである。


妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。(エペソ5:22~23)


信仰に入って間もなく、信仰の上で主人にどう接して行けば良いのか戸惑うことも多く、宣教師の先生に質問をしたことがあった。
その時に聖書を開かせて読ませ、一言で「このようにしてください」と教えてくださった。


その単純な言葉に私は安心した。それは、「従う」以外の責任を課せられてはいなかったからである。
主人に「俺を折伏するな」と命じられていたからであり、説き伏せる必要がないなら幸いであった。30年後に、イエスさまは主人を洗礼に導いて、救の証を立てさせてくださった。


私の信仰の初めにみことばは学びではなく、ただ暗記するものでもなく、お守りでもなく、従順するものであり、身を避ける所であることを、教えて頂いたことはとても幸いなことであった。


詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。(エペソ5:19~20)


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