スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。──しかしあなたは実際は富んでいる──またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。(8~9)
迫害の中にあるとき、神さまがハラハラと寄り添い、ご自分のひとみのように守られることを知っている。それは迫害の中でのみ知ることである。その時、彼らがどんな時よりも豊かにもっているものは、あふれるばかりの神の愛である。
彼らには、人からのののしりもはずかしめも心には届かない。ただ神のみことばだけが、充満しているからである。
キリスト者は、いかなる試練の中にあっても壊れることはない。いよいよ力に満ちて、聖霊の守りの中で健やかに主を味わっているのである。
あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。(10)
単純な計算であり、これほど有利な取引はない。試練は十日間であり、受け取るいのちの冠は永遠の保証である。
どんな試練にも忍耐にも、ご真実な主は私たちが耐えることができるように、期限を設けていてくださる。それは永遠から見れば瞬きをするほどの間である。
それゆえ、キリストを信じないで滅びることを恐れるのだ。ゲヘナの苦しみには終わが無いからである。
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。(11)
死に勝利されたキリストによってのみ、永遠のさばきである第二の死を免れるのである。しかもそれは、誰でも等しく信仰によってのみたまわる救いである。
キリストのことばを聴く耳のある者は、永遠の苦しみから救われる。これが神の愛による約束である。
人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。(ルカ6:22~23)
キリスト者には信仰による迫害は祝福の時である。そこでのみ出会えるキリストが待っていてくださるからである。