奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。(Ⅰコリント7:22~23)
世のあらゆる立場から引き出されて、キリスト者はキリストのうちに生きるようになる。キリストの奴隷のために支払われた代価は、イエスさまの十字架の血潮、いのちである。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)
それは、父なる神さまにはどれほど高価な買い物であろう。ひとり子のいのちをもって買われたのである。
キリスト者がその歴史的な事実によって、自分の価値をわきまえているなら、決して世に引き回されることはなく、主の喜びとなり愛されて、永遠のいのちを生きるようになる。すべてに満ち足りて・・。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:30)