私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(14~15)
「賛美のいけにえ・・御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えず捧げよう」とある。キリストをうちに宿す者は、寝ても起きても良い時も悪い時も、どの瞬間を切り取っても金太郎飴のように、御救いの喜びに溢れて、神の御名をほめたたえる賛美が、霊の内に心の中に流れている。
神との平和をたまわり、永遠の望みに溢れて、日々キリストのうちにも在る身には、この世のあらゆる瞬間に置いても、クリスマスイブの子供のように、上機嫌で従順になってしまうものなのである。
その唇から神をほめたたえる歌があふれ出るのは、明日がどんな日かを知っているからである。
永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、
イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。(20~21)
すべての良いことを望みに溢れてできるように、永遠に変わることのないみことばの約束をたまわり、祈りによる絶えざる交わりを持っていて、弱さの内に完全に働く力を与えられている。そうして、リアルに主に見える日をワクワクしながら待つ者なのだ。
ほら、賛美が溢れてくるでしょう!