結婚して37年。ずいぶんお互いに我慢もしたね。我慢できなくて喧嘩もした。私が言いつのり、主人が怒鳴りつけ、結婚当初は椅子さえ飛んできた。
もし、過ぎた恨み事を言わせてくれるなら、子供の運動会に、途中で消えて一人で釣りに行ってしまったこと。本当に淋しくて、私たちはしょんぼりとお弁当を食べたんだから。子供達に「お父さんは?」と聞かれて言葉に詰まったんだから。
私がクリスチャンになって、「洗礼を受けたい」と主人に話した時「お前が洗礼を受けるのは勝手だけど、俺を折伏しようと思うな」その言葉に「はい」と答えた。
聖書には「主人に従いなさい」はあるけど、「説き伏せなさい」とは書かれていないと安心して答えた。
それから数十年して、主人はあるとき教会に来た。私はただ祈っていただけ。
「誕生日のプレゼントは何も要らないから、一緒に礼拝に出たい」
その願いをイエス様が憐れんで、主人を導いてくださったのだと信じている。
私には、かわいい泣き言や弱音を吐くことがほとんど出来ないので、主人には鉄のような女と映っていたのだろう。そんな私がある時入院をしたことで、私にも弱さがあったのかと驚きだったようで、その後何かと細やかに助けてくれるようになった。口うるさくなった面はあるけれど、それも優しさの現れと思うことにした。
主人が教会に通う日々が多くなって、家族で祈ることは自然になった。
長男が帰郷の途中で、全財産を入れたポーチをドライブインに忘れて来た時も、主人と静まって祈ることができた。イエス様がその時与えてくださった望みによって、探しに戻る彼らを、パニックになることもなく落ち着いて送り出すことが出来た。そして彼らの財産は守られた。
主人には主人の信仰がある。息子達には息子達の信仰がある。私の踏み込めない部分も沢山あるけれど、イエス様が彼らを愛して下さっていること。良い計画を持っていてくださることは良くわかるから、私は何も心配してはいない。
今、私たちは喜んでいる。祈りは心の内に絶えずある。すべてのことを感謝している。ハレルヤ!
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