石ころ

花嫁修業




 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。(イザヤ30:21)
それは「動くな」をも含むのだと知った。今は、「待て」「座れ」「伏せ」であった。
「待て」は「静かにしていなさい」であり、「座れ」はマリヤのように「みことばに聞き続ける」であり、「伏せ」は「安息に入る」。

私は犬ではない。キリストのいのちという代価によって買い取られた花嫁。だから、王の花嫁は躾けを受けなければならない。的外れではなく、花婿の御旨を射貫くように、御声を聞きわける花嫁として整えられていなければならない。

 現実は体は愚鈍なものとなり、頭は打てども響かぬぼんやりとしたものだけれど・・、主の選ばれた花嫁ならば、主ご自身が相応しく整えてくださることを知っている。御声に聞き従うならば・・。
「来い」と呼ばれ、「行け」と命じられることは心弾むことだけれど、「伏せ」が完成しなければ呼ばれることはないだろう。

 旧約の祭司は決められた通りに行えば良かった。
今は絶えず聖霊に聴き続けなければならない。花婿に「来い」と呼ばれる日が何時かわからないからである。キリストの花嫁である教会のために祈っている。安息していますように。御声を聞き取ることができますようにと・・。

神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。(ヘブル4:10~11)

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