石ころ

さばきとモーセのとりなし(民数記11章)

 

さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。
すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。(1~2)

 

どんなに感動しても、肉からの従順は長続きしない。人々の心は直ぐに変わるものだからである。
火の柱は彼らの眠りを守るために、罪が蔓延るときにはそれを焼ききよめられる。民全体に罪が蔓延ることを防ぐためである。


民がモーセに向かってうっぷんをぶちまけたのは、モーセを侮ってのことであろう。民の怒りをモーセは受け止めて主に祈った。自分の役割を負ってのことである。主はモーセの祈りを聞き入れられた。役割に従順するモーセを愛されたからである。

 

執り成しは侮る者を受け止めて主につなぐことであり、罵る者を愛して主に繋ぐことであろう。「なぜ、神は・・」と心の中で言った私を、キリストが顧みてくださったように。

 

彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。(4)

 

民の中には、神を愛する者も神を知らない者も混じっている。信仰者の心にも信仰も不信仰も現れる。聖霊はそれらをみことばによって切り分けて、教え導いてくださる。神の助けに拠らなければ、真実な信仰を全うすることなど出来ないのだ。

 

モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がった。このことは、モーセにとって辛いことであった。(10)

 

愛する神に向かって不満を爆発させ、救いの御わざの中で、嘆いたり自己憐憫に浸る民を見るとき、彼の心はどれほど痛んだことであろう。この民を執り成すことは、主を愛するモーセには辛いことであったろう。

 

それで、モーセは主に言った。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのですか。なぜ、私はあなたのご好意を受けられないのですか。なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。(11)

 

信仰の重荷を訴えるのは、ただひとり主に向かってである。人ではない。嘆きも、気落ちも、怒りも、孤独も・・その徒労感を受け止めてくださるのは主である。

 

それは人に負い切れない。誰も自分以外の信仰を負うことなど出来ない。自分自身の信仰でさえ、キリストの信仰によって、キリストが負っていてくださるのである。今主に在るのは、キリストが死からよみがえって、遣わしてくださった助け主なる聖霊の導きに拠るのである。

神は民の望みを叶えられた。

 

さて、主のもとから風が吹き、海からうずらを運んで来て、宿営の近くに落とした。それは宿営の周り、どちらの側にも約一日の道のりの範囲で、地面から約二キュビトの高さになった。
民は、その日は終日終夜、次の日も終日出て行ってうずらを集めた。集めたのが最も少なかった者でも、十ホメルほど集めた。彼らはそれらを自分たちのために、宿営の周囲に広げておいた。(31~32)

 

みことばの通りにうずらが積みあがった時、民は主につぶやいたことを思い出してひれ伏し、礼拝することもなく感謝も賛美も忘れて貪った。まるで偶然降って来たかのように、ただ貪ってみことばを思い出すことも、主を仰いで褒めたたえることもしなかった。

 

肉が彼らの歯の間にあって、まだかみ終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に激しい疫病で民を打たれた。
その場所の名はキブロテ・ハ・タアワと呼ばれた。欲望にかられた民が、そこに埋められたからである。(33~34)

 

今も、主はキリスト者にみことばを語り、命の必要を備えて生かしていてくださる。
その恵みを受ける時に偶然のように、自分の働きの報酬のように受け、感謝もせず主を忘れて貪るなら、みことばの約束によって養われているいのちが死ぬ。創造主への信頼も愛の関係もそこには無いからである。

 

人の求めるべきことは、聖霊の導きによって主を知ることである。人はどれほど大きな奇跡を見ても、それによっては救われない。もし、生き返らされたとしても、また死ぬ者だからである。

 

奇跡は時の流れの中で、世の状況や人の理屈によってサタンが持ち去ることが出来る。パリサイ人は直接イエスのみことばを聞き、神のわざを繰り返し見た。
死者を生き返らせるわざを見ても、イエスを神と悟ることは無く、理屈を言って邪魔にし殺すことを計ったのである。

 

肉なる者が、霊である神を知ることほどの奇跡は無い。私たちの求める奇跡は主を知ることである。それによって霊の目が開かれて、無知な者に聖い信仰が育まれ、永遠のいのちに至らしめるからである。

 

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ1:17)


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