石ころ

「幸福論」(第2部)から③


「罪と憂いとは密接なつながりを持つ。だから、ここでも、それらは幸福への道をさえぎる連合した障害として諸君の前に現れてくるのである。
通常、まず罪を生活から取り除かねばならぬ。そののちに初めて、憂いを追い払うことも本気で考えられるのである。

なぜなら、真に憂いのないただ一つの状態は、人間の生得の素質ではなく、また、なにか幸運な外的境遇の所産でもない。それは苦しんで獲得した、よりよき幸福である。ヨブは、以前の偶然の幸せな境遇から、このようなよりよき幸福へと導かれるのである。詩編第23編に美しく描かれているような、永遠に変わらぬ確実な幸せへ導かれるのである。

詩編23編に美しく描かれているような、そのような永遠にかわらぬ確実な幸福へ、われわれすべての者が、一人の例外もなく達すべきであり、また達することができる。すなわち、罪と憂いとが門番として立っている門をまず通り抜けさえずれば、直ちにそこへ行くことが出来るのである。」

「人間は、罪の重荷を負うことがなくなると、たちまち、どんなに多くのことに耐えうるようになるか、また、その反対の場合は、どんなにわずかのことにも耐えられないか、不思議なほどである。人間の最上の力を消耗させるものは、実に罪である。」

「この詩編23編のすぐ前に、あのよく知られた厳粛な内容を持つ第22編があるのは理由のないことではない。」

詩編22篇

わが神、わが神。
どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。
私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。
しかし、あなたはお答えになりません。
夜も、私は黙っていられません。
けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
私たちの先祖は、あなたに信頼しました。
彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。
彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。

しかし、私は虫けらです。人間ではありません。
人のそしり、民のさげすみです。
私を見る者はみな、私をあざけります。
彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
「主に身を任せよ。
彼が助け出したらよい。
彼に救い出させよ。
彼のお気に入りなのだから。」

しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。
母の乳房に拠り頼ませた方。
生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。

どうか、遠く離れないでください。
苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
数多い雄牛が、私を取り囲み、
バシャンの強いものが、私を囲みました。
彼らは私に向かって、その口を開きました。
引き裂き、ほえたける獅子のように。
私は、水のように注ぎ出され、
私の骨々はみな、はずれました。
私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。
私の力は、土器のかけらのように、かわききり、
私の舌は、上あごにくっついています。
あなたは私を死のちりの上に置かれます。
犬どもが私を取り巻き、
悪者どもの群れが、私を取り巻き、
私の手足を引き裂きました。
私は、私の骨を、みな数えることができます。
彼らは私をながめ、私を見ています。
彼らは私の着物を互いに分け合い、
私の一つの着物を、くじ引きにします。

主よ。あなたは、遠く離れないでください。
私の力よ、急いで私を助けてください。
私のたましいを、剣から救い出してください。
私のいのちを、犬の手から。
私を救ってください。
獅子の口から、野牛の角から。
あなたは私に答えてくださいます。
私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、
会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。
ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。
イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。
まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、
御顔を隠されもしなかった。
むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、
聞いてくださった。

大会衆の中での私の賛美は
あなたから出たものです。
私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。
悩む者は、食べて、満ち足り、
主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。
あなたがたの心が、いつまでも生きるように。
地の果て果てもみな、思い起こし、
主に帰って来るでしょう。
また、国々の民もみな、
あなたの御前で伏し拝みましょう。

まことに、王権は主のもの。
主は、国々を統べ治めておられる。
地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、
ちりに下る者もみな、主の御前に、ひれ伏す。
おのれのいのちを保つことのできない人も。
子孫たちも主に仕え、
主のことが、次の世代に語り告げられよう。
彼らは来て、主のなされた義を、
生まれてくる民に告げ知らせよう。

詩篇23篇

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 
私は、罪とはイエス様が十字架で成就してくださったことを、差し引かずにそのまんま受け取らないことではないかと思う。

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