石ころ

ダビデのひこばえ




五人の夫を持った女も、ダビデやソロモンも何かが壊れていることには変わりはない。男だから女だから王だから・・そんな理由で神の義が1㎜でも変わるわけがない。不完全な者を義としてくださるそれは神の良い計画によること。

それでも彼らはその現実の中で、主の御前に居ようとした。
イエス様が「ダビデのひこばえ」(新共同訳黙示22:16)と名乗ってくださるのは、ダビデが自分自身や、サウル王や、子どものうめきを抱えつつ、愚直に御前に居続けたからだ。
いったい人に、そのほかどのような義の道があるのだろう。ダビデはその意味で完全だったと思った。

私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。(詩編16:8~9)






 車が止まり「居るけえ」玄関の戸があいて元気な声が飛び込んできた。縛ったタマネギを両手にぶら下げて「ほい」って、「こっちは赤い方」って差し出してくれる。
「うわー嬉しい。赤いの欲しかった。」勢いに押されて遠慮もなく飛びついた。

まあ、私は上げると言われれば嫌でない限り素直に喜んでいただく。自分自身せっかく上げようと思った時に、ためらわれると信頼されていないようでがっかりするからだ。

彼は、親戚のようでも何の血のつながりもない。それでも昔から親しみをもって、64歳のおっさんを「ちゃん」づけで呼んでいる。主人が死んだときも「なんかあったら、何時でも来たるから電話しや」って言ってくれた。

「どないしてんねん」「生きてる」「ああ、それでええ」から始まって、それとなく生活の事を聞いてくる。「大丈夫。今タマネギ貰ったから」って茶化すと「そらしっかり運ばんとあかんなあ」って大笑いになった。
こんな時大上段から信仰を語る気にはなれないので、大概茶化すのは悪い癖かも・・。

何のお茶菓子もなくコーヒーのみで1時間ほど相手になってくれた。
彼の話はおもしろ可笑しくて止まらない。アハハアハハ・・とずっと笑っていた。それはまるでひとり「吉本」私も時々参加。

車が動き出したとき、「奥さんによろしく」って怒鳴った。彼はとても良い奥さんを持っている、長い話しを横で何度もうなずきながら聞く人である。思い出して幸せなんだ~ってほっこりとした。
夕食にはタマネギのスライスを頂こう・・この間から欲しかったのだ。

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