カルトがらみの事件を見る度に、人は本当は自由であるより、誰かにもたれて生きる方が好きなのではないかと思う。思考停止状態で支配され、絶対服従させられ、自分の責任を自分でとれなくなった状態が、結構居心地が良いのではないか。
自分の身に大変なことが起こっているのに、あがらうことなく漫然と縛りの中に居る時は、結構楽な状態なのだろう。まして、支えてくれる仲間があり、その状態を認められたら動けなくなるのだろう。
イエス様に従っていく信仰は、自分自身の意志による選び。真のキリスト信仰に進むことは、人には決して楽なことではない。自分で選ぶと言うことは、選びのリスクに立ち向かうことである。イエス様の助けは何時もあるけれど、まず、紅海に足を踏み入れる選びによって、海は割れて道が出来るのだから、自分の生き方を自身で決定して行く事を求められる。
生きると言うことは選ぶこと。その選びの根拠が何時も問われているけれど。私の根拠は永遠に変わることのない神のことば、聖書に依る。
神様は人が人を支配する王を与えなかったが、人が王を求めた。
ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。・・・・・
あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。
聖書
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石ころ
吉岡 初美
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