見出し画像

石ころ

どん欲


「イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」(ヨハネ13:21)
「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
彼がパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。
「あなたのしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ13:26)


イエスさまがユダを手離すと同時にサタンが入った。サタンは主の許し無しには、御手の中にある者を自由にする事などは出来ないのだ。
だから、それ以前にユダがイエスさまを売ったのなら、それはサタンではなくユダ自身の責任であった。

ユダはマリヤの香油の時から、いや、それ以前に主の財布から盗んでいたときから、主を愛するよりも金銭を愛しており、心はすでに主を離れていた。
ただ、近くに居るというだけで、主を愛しているとは限らないということ。

なぜ、イエスさまは彼に財布を持たせていたのだろうと考えたことがあった。それは誘惑ではないかと・・。でも、それさえも主の赦しの中にあったのだと思う。
マリヤが主のために香油を注いだときに、彼がその捧げ物さえも狙うまでにどん欲でなければ・・。

もし、主の財布の中に入っているもので彼が満足していれば、どのように使おうと彼に任されていたのだろう。
すべては主のものなのだ。今私の財布の中に入っているものも・・。 だからそれに満足するとき、主の赦しの中で私には自由がある。ただ、主のために備えられたものまで、自分の自由にしようとさえしなければ・・。

「あなたのしようとしていることを、今すぐしなさい。」その許しは恐ろしい。そうして、彼は、心も体もイエスさまの側を去って闇に出て行った。

だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。(マタイ6:24)

金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)

イエスさまが居て下さる私たちには、すべてが備えられている。足りないことは何もないのだから。なんと安心なこと、なんと平安なことだろう。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事