石ころ

世の終わりに備えて②(マルコ13章)

 

また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。(12)

 

イエスさまを売ったのは弟子であった。もっとも信頼して心を許しあっている関係に、時を得たサタンの仲間は家庭の中にまで働いて、家族が互いに訴えあうように仕掛けてくるのである。

 

人間関係を破壊させて、割り込む罪の手法は常にある。それらはキリスト者には、神に在る関係を破壊することに用いる。サタンらは自分たちの時が残り少ないことを知って、滅びの道連れを探し求めているからである。

 

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(Ⅰペテロ5:8)

 

また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。(13)

 

故無き憎しみに耐えることができるのは、みことばの平安である。永遠に変わることのない神の愛に信頼しするなら、引き裂かれた人間関係も必ず回復してくださる。
信仰の初めに家族に起こる嵐も、やがて家族の救いとなり、感謝と平和になった経験を持っているからである。

 

 「荒らす憎むべきもの」が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。(14)

 

神の座に神ではないものが立った時、それが神ではないことをすぐに悟る者は、神を日々経験している者だけである。いつも神の座に居られる方から目を離さないなら、違うものが来たときすぐにわかるのだ。それは今日、何を見ているかということである。

 

屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。
畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。(15~16)

 

危急の時に、何を一番大切にしているかが現れる。世のものを惜しむなら時を失するのだ。すでに、私たちの大切なものはすべて天に備えてくださってある。

 

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。
その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。(17~19)

 

この艱難を通過する時には、弱さの中に完全に働く神の力により頼み、黙示録に書かれてあるゴールをしっかり覚えているなら、その闇の中でも望みを失うことはないだろう。
何時ものように、みことばと祈りのうちに嵐の中を過ぎて行く。

 

そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。(20)

 

苦難、虐げや、悲しみの時、主の御目は私たちに注がれている。イエスさまが、失敗をしたペテロを見つめれらた眼差しである。
みことばの約束と祈りのうちに信頼して、嵐の中を通過する時は、ハラハラと心配してくださる主の慈しみと憐みを経験するのである。

 

そのとき、あなたがたに、「そら、キリストがここにいる」とか、「ほら、あそこにいる」とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。(21~23)

 

キリストは信仰者のうちにおられる。外の何処かではなく、見も知らない偉人でもない。
キリストの奇跡は人目に付かず、守りの中で何時でも何気なく行われている。本人さえもうかうかしていると、神の大きなわざにも気づかず、感謝の時を逃してしまうほどである。

 

みことばを握っているなら、パニックになることはない。ジッと主を見つめるようにみことばを抱きしめているからである。
神は私たちにすべてを前もって語ってくださったのだから、平和な時も嵐の中も、ゴールを目指して真っ直ぐに駆けて行こう。新天新地の輝く永遠に向かって。


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