ご自分を弁護されることも、守ることもされず、なすがままに、真っ直ぐに十字架に進まれるマタイ26章後半のイエスさまに、
「ほんまに感謝やなぁ。有り難いことやなぁ。泣きとうなるね。」とつぶやく彼女に、「ああ本当にそうだ。感謝やなぁ・・」と感動を誘われた。
そうして、私は慣れてしまっているんだなぁ・・と、無感動に読み過ごしている自分を振り返った。
みことばが心を振るわせて、喜びと感謝があふれるような読み方を忘れてはいけないなぁって・・私だって初めて知ったとき、本当に感動して胸がいっぱいになったことがあったのに・・
私にとって人に伝えると言うことは、その度新しく主にお会いすること。チャンスを下さった主に感謝やなぁ・・。
大祭司はイエスさまのことばに、「神への冒涜だ」と言った。彼らが旧約聖書を片手にして言う神とは、罪を取り去るイエスを除く神だった。そして、群衆は「この人を除け」と叫び、彼らは自分のその言葉によって滅びる。
よみがえりの主は「平安があなた方にあるように」と言われる。ただ、イエスさまに身を寄せる彼女が「もう、なんにも恐くなくなった。感謝やなぁ。」と言われ「ほんまやなぁ」と、しばし共に救いの感慨に耽る。
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