主にたまわったいのちは、この体が生きている時も死んでからも、少しも変わることのない永遠の約束の中で生きるものである。
ご真実なみことばの約束を信じた時に、この永遠の希望は人の知らない平安となり、今もこの命に成就しつつある。
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(Ⅰコリント15:44)
血肉のからだで母より生まれ、愛である神の忍耐と憐みによる守りの中で、今日まで生かしてくださった。
聖霊の導きによってキリストに出会わせ、信仰告白に導いてくださり、汚れを洗いきよめて信仰を守られ、永遠のいのちをたまわった。
愛の神は、母の胎で組み立てられた一人ひとりに、良きご計画を準備してくださってある。この私にさえ・・成し遂げるためのすべての必要を準備してくださった。すべては神のご真実によることである。
もちろん、天上でたまわる霊のからだの輝きはこの上もない喜びであり、期待にワクワクしているけれど、驚いたのは地上のかだらにも輝きがあるという言葉である。
天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、(Ⅰコリント15:40)
生まれて以来「輝き」という言葉とは、もっとも縁遠い者であった。しかし、聖書に書かれている事実のゆえに、神が備えられている輝きを、目には見えなくてもあると信じることにした。このからだの何処かで何かが輝いているのだ・・きっと。
「主よ。感謝します。」