どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。(コロサイ1:9)
霊的な知恵と理解力、知識は頭の中で保存されるものではなく、聖霊の働きにより、その人の生涯において現れるものである。
それは霊の働きが目に見える実態となるように、みこころを世に行わせる力であり、聖霊が与える知識には、それを完成する力が備えられている。
それゆえ、どれほどこの祈りが重要であるかわかるのである。
信仰は霊による知識がなければ、みことばを覚えてもそれを行う力はなく、丸呑みにしても単なるスローガンに過ぎない。
しかし聖霊に導かれたみことばは、人のうちに留まって血となり肉となってその人を育て、勇気を与えて世にキリストを現わすものである。
神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。(創世記8:1)
神をどなたと心得るか。そのことを教えてくださるのは聖霊である。みことばを今日生きることを導いて、力と知恵を与えてくださるから、此処にキリスト者の平安がある。
こうして「天の父が完全であるように、完全でありなさい」が成就して行くのである。
神はご自分の命令に従って、箱舟に入ったすべての生きるものを覚えておられた。
「虫けらのヤコブ」と言いつつ・・励まされた神。それなら、私はいったい何だろう・・。しかし、たとえどのようなものであろうとも、確かに名を覚えていてくださり呼んでくださるのだ。
そのことは霊の知識によって知っている。神が愛する御子の血潮をもって、永遠の滅びから買い取ってくださったほどの者であることは、事実なのである。
「神が覚えていてくださる」このみことばの保証は、常に全き平安を与え、すべての恐れから解放する力である。