石ころ

祝福の子 (ルカ1章)




ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。
二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。(ルカ1:5~6)


しかし、「非の打ち所のない正しさ」によって彼が用いられたのではない。神のご計画、一方的憐れみによることである。

天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。(ルカ1:13)

「あなたの願い」とあるから彼は祈っていたのである。しかし彼は祈りがかなえられると信じていなかった。

そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカ1:18~20)


すべてにおいてそうであるが、神様の良きご計画の成就は主の忍耐によるのである。
信じられないことは語れない。だから神様はそのことが成るまで彼の口をふさがれた。このことは憐れみである。
話せなければ信じるふりをして嘘を吐くことはなく、またみことばを否定して罪を犯すこともないからである。


マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカ1:34.38)


マリアは懐妊の疑問を脇に置いて、「アーメン」とみことばどおりに受け入れた。それは恥と死を覚悟してのアーメンである。婚約者の承諾もないこのことは、姦淫による石打の死を意味していたからである。婚約者ヨセフの承諾は後のことであったから・・。


エリザベツの備えはマリアを守ることにもなったろう。まるで孫のようなマリアと主に賜った胎の実をいとおしみ、神を賛美して三ヶ月を過ごしたのである。
その日々は乙女マリアを主の母へと育てる備えであり、どのような非難にも確信をもって過ごすことができるためであった。主はまことにご真実である。

しかし、主の備えられた「ヨハネ」と言う名は親族を落胆させた。主の備えられた良きものは、すべて主を喜ぶ者のためである。
彼は荒野に住み、バプテスマを施し主の道を備えたが、ヘロデ王に理不尽に殺されて世を去った。
彼は地で精一杯働いた。イエス様は彼を評価された。しかし、私たちの望みはイエス・キリストによる天の国である。

はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。(マタイ11:11)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事