石ころ

捧げもの(使徒5章)




アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:1~4)

生まれたばかりの教会は、聖霊に満たされて主の豊かな臨在のうちに在った。アナニヤとサッピラが命が取られなければならないほどの罪とは、その聖さを割り引いて値踏みしたことである。
イエスさまの命が支払われて買い取られた教会に、取り繕いのために「誤魔化し」という汚れを持ち込んだのだ。
それは、使徒の足元におかれて来たすべての捧げものを汚す行為でもある。

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)

主が、真っ赤な罪を真っ白にきよめられた十字架を侮ることは恐ろしい。聖霊に鈍感であることは恐ろしい。
すべての財産を捧げるということは命をも捧げることである。だからその真実の前に、アナニヤとサッピラは自分の命を支払って償うことになったのだ。

アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた(使徒5:5)

あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:3~4)


人の目にさらされない捧げものは、神の報いを受けることになる。天の宝はこのようにして蓄えられる。
その習慣は信仰による打算であり、アナニヤの罠からの守りとなる。人の評価を恐れるなら聖霊を侮るようになる。

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