石ころ

経験による感覚の訓練




しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。(ヘブル5:14)

 通読箇所によって、主から受けた一つの訓練を思い出した。
主は人の助けを受けたからと言って責められないけれど、祈っていながら主を待たずに人に頼って道を開いた結果、それまでのすべてを否定され続ける三年間を過ごしたことがあった。

失敗の中で主の御足元に黙って座り続けた日々は、不毛としか思えない長い長い三年だった。
それでも御真実な主は、失敗さえも後に真っ直ぐ進むための学びとしてくださった。確かにあの期間に、闇に根を張って恵みを吸収する信仰を育ててくださった。今は忍耐に報いてくださった主への深い感謝になっている。

 その時、信仰の年数の浅かった私には、それは神様の助けの様でもあり微妙なことであったのだ。経験の後に、微妙な違いを一つ見分けることができるようになったのだ。違いは微妙であっても聖さにおいて大違いと今はわかる。

訓練の三年間が終わった後に、憐れみによってすべてを益にしてくださったけれど、主を待たず人を頼るべきでないと叩き込まれた事であった。
それは、助けてくださった方にもご迷惑をおかけすることあった。主が祝福されないことは誰の益にもならないのだ。

 訓練はゴールまで続くだろう。ただ学ぶ度にゴールは近付いている。
理不尽を受け入れて忍耐することができるのは、イエスさまが十字架刑という最大の理不尽を受けて下さったことを知っているからである。

十字架を知っているから「なぜですか」と叫ぶことなどできない。私たちの苦しむ時に、イエスさまはハラハラと近くに居てくださることを感じることができる。
イエスさまご自身は、十字架で御父にも見捨てられひとりぽっちであられたのに・・。

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