石ころ

主の祈り 最終章




主の祈りはプライドを捨てて、主に拠り頼む祈り。
「私たちの罪をお赦し下さい」それは、無条件の赦しを願う祈りである。
赦され、聖霊の臨在を賜って初めて人を赦す者となるのだ。
赦し愛してくださるキリストの平和を得るからである。
そこで初めて「私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します」と祈れるのである。

しかし生まれながらのプライドはその祈りを阻む。
「我らが赦すごとく・・」と自分発の善行に、順序をすり替えようとする。
みことばに明確に順序が書かれていても、それを受け入れることができないのは肉のプライドである。

主の求められる捧げ物は、そのプライドである。
砕かれて捧げる魂こそ、主が赦しを準備して待っておられる捧げ物である。

捧げ物の後に、主は新しいプライドを私たちにお与えになる。
それは、神の子としての立場、祭司としての立場である。
神から受けたそのプライドこそ聖なる賜り物であり、
終生私たちが拘り続けるべき宝物である。

肉のプライドを捨てた先にあるのは、主の赦しから発する新しいいのちの誕生。
主の祈りにはそのことが隠されている。

肉はそのことに徹底的に叛逆するけれど、その肉を治めて、
主が教えてくださった通りに祈ることが祝福の初めである。

神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩編51:17)

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