石ころ

2016年6月15日




 ホトトギスが、テッペンタケタカ、テッペンタケタカ・・って、時々詰まりながらも正確に鳴いている。
植木鉢のキュウリが3本実を付け、茄子も2本たぶん成るだろうという感じ・・「親の小言と茄子の花は万に一つの無駄もないアーコリャコリャ・・」だから。
じつは実に成らなかったこともあったけれど、あれはなにかの間違いだろう。

 今日キュウリのネットを買って来た。もう、背丈ほどになってしっかり金網に巻き付いている蔓を解いて・・もとい!千切って支えをネットに変更。キュウリの葉が細かな金網に押しつけられているのを見て辛そうだと感じたからだ。好意からだけれど迷惑だったかもしれない。

この行き当たりばったりな計画の無さに、自分でもあきれ汗だくになりつつ・・それでも蔓を折ることもなく2本とも無事に終了。お詫びにたっぷりとお水を差し上げた。
無理矢理ネットに括り付けておいたけれど、たぶん明日には自立してくれるだろう・・。うちの野菜はそんなに柔じゃないはず。

 取っ払った金網を玄関前に持って行ってフエンス沿いに張る。朝顔が早く準備しろと、出入りする度に催促して見上げていたから・・。
はびこっているムベを剪定して場所をあけてもらう。朝顔が満開の朝を思い浮かべながら奮闘した。

インゲンはもう食べている。家で取った野菜が柔らかいのはなぜだろう・・。すべて完全無農薬これ最高!春菊も間引いてお汁に入れた。良い香り。
でも、とれたて野菜が食べられるのは実はほとんど頂き物。本当にとても感謝なこと。


 主の必要は主に拠って準備されている。ロバの子も、過ぎ越しの食事の場所も備えられてあった。
私にもみことばにゆっくりと過ごせる時間と、家族の心配事もないように主がすべてのことを整えてくださっている。四方八方に働いて細やかに顧みてくださっていることを身に染みて感じている。

それでもとても落ち込むことがある。まあ、生きものだから感情は揺れ動き、持ち上げたり突き落としたりするもので・・そういうものだけれど・・。
そのような時はみことばに逃げ込む。賛美の力は無くてもみことばを聞き続けることはできるから・・。

みことばを責められたと感じてもほめられたと感じても、いろんなことをしながら何時間も聞き続ける。時には読み時には書き綴る。その内にいつしか心は穏やかに整えられて嵐は去っている。

 後期高齢者の体はあちらが痛いこちらかゆいは毎度のこと。でも、健康の基準をこの辺に置いているから私は健康。
いつ命の耐用年数が切れても惜しくないけれど、主はなぜかこういう使い物にならない者を用いるお方だから、これで主の採用条件を満たしているのなら、最後までとことんやり通したいのだ。
惜しくないからこそ思いっきり生きることができるのかもしれない。揺れる魂と重い体を引きずってくださっているのは主だけれど・・。

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