石ころ

兄弟愛 (Ⅰヨハネ3章)

 

義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。(9)


神の義は憎しみをもたらすものではない。神は義と愛のために御子を十字架にたまわったのである。
神を愛している者は神に在る兄弟をも愛する。心が通わなくて悲しんでいても、自分自身を打ちたたくようにしてもみことばに従って愛する。


それは本心を偽っているようでも、みことばに従うことから始まっているなら、神の前に真実であり、それは自分をキリストに在って治めることなのである。
神のさばきに自分の中にある思いを委ね、神から出たことばを自他に語る。語ったみことばが正しいさばきとなるからである。


互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。
カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行いは悪く、兄弟の行いは正しかったからです。(11~12)


弟のアベルを殺したカインに主は言われた「罪を治めよ」と。カインは神の選びに従順するべきであった。それによってカインは、神の役に立つ者に成長することができたのである。
しかし、カインはアベルに嫉妬して殺した。彼の神を愛する愛には捧げものがなかったからである。


神がカインに望んでおられた捧げものは、カインの神を愛する愛である。彼が自分の愛を全焼のいけにえのように跡形無く神に捧げるなら、アベルを憎むことはなかったのである。

キリストに在る兄弟愛は、それぞれが自分自身を捧げ、自分の願いや思いを愛する神に捧げて、みこころを「喜んで!」受け入れることから始まる。


そこにはサタンの足台は存在せず、憎しみに心を支配される者もなく、キリストの平和があり、安らかに仕える愛が流れているだろう。そこは誰にとっても神の国のようだろう。
その偽りのないキリストの香りに、人々は引き寄せられて集まって来るのだろう。


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