石ころ

喜びの十字架(ルカ9章)




「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」
イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(ルカ9:22~23)


キリスト者は人生の計画も、家族も、命も、いつの間にかイエスさまに全部託して歩いていることに気付く。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:29~30)


イエスさまの十字架によって、罪の負債をすべてあがなわれた者に残されているのは、感謝と賛美と神の子とされる光栄の望みである。
それは世の重荷から解き放たれた自由と、永遠に変わらない平安があり、負いやすい喜びの十字架なのだ。
くびきとは、決してイエスさまから切り離されることのない道具だから、それを負っていることはなんと安心なことだろう。

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