ただしい言葉で責める友人に、「あなたがたは恐ろしいことを見ておびえる。」(ヨブ記6:21)とヨブは言っている。
ヨブの友人は、彼がどんなに正しい人であるかを良く知って居ただろう。だから七日七夜彼の側を離れずに慰めようとしたのだろう。
それでも、ヨブの上に助けの来なかったとき、彼らは恐れたのだ。彼らの恐れたものは自分の信仰である。
この理解できない恐ろしい出来事を見て、彼らは自分の信仰を守ろうとしたのだ。それはヨブの信仰に欠点を見つけ出すことで、神を自分の理解の内に置き、自分の信仰に誤りがないことを確信したかったのだろう・・。
信仰を脅かすような試みの時、私たちはどのようにして信仰を守ることができるのだろう・・。
今、新約の時代にある私たちは、ただ、キリストの信仰によって守られるようにと、困難な中にいる友と共に、主に祈り求めることができる。「助けてください」と、「私たちの信仰をお守りください。」と共に叫ぶことができる。
主人は淡々と過ごしている。散歩をしたり、起きて少しテレビを見たり・・。ただ、悲しいことに「三門忠司」は飽きられたみたい・・すでに放置されている。
体調は細かくはコロコロ変わるけれど、おおむねどうってことはない。二人で「こんなもんだろう」って言っている。
今日は涼しいから、私は久しぶりにウオーキングコースを回ってきた。夏草が茂り、高砂百合が満開で、キバナコスモスは盛りを過ぎてしまっていた。
桜の木の下で鼻の穴を膨らませて深呼吸。いままでのように早足では歩けなかったけれど、青い栗の実を見上げ、逞しい大豆畑を覗き、畑の人とちょこっと挨拶をしたり・・。
肌に心地よく吹き抜ける風を楽しみながら歩いた。
今は何事にも頑張らない。頑張らない。ガンバリズムを発散しないことにしている。
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