主人は以前の痛みはまったくなくなったけれど、時々刻々と体調はめまぐるしく変化する。
食べてしんどくなったり元気になったり・・、だから「これ食べても大丈夫かな?」と聞かれたとき、笑いながら「わからん」としか答えられない。データーの取りようもないのだ。
昨日美味しく食べて何事もなかった葡萄が、今日は気分が悪いという・・。同じ食べ物でもこうだから見当も付かない。
それでも、食べたものは力になるだろうし、恐れて食べないものの栄養は取れないのだから、「まあ、具合が悪くなっても時間が経ったら治まるのだから、食べたほうがいいと思うけど・・」と曖昧な言葉で勧めている。
本当に少量だけれど、それでもきちん食べてお薬を飲むように頑張ってくれている。だから、半分は捨てることになるとわかっていても作る。
かって今ほど食べ物を捨てたことはないけれど、今はしかたがないと毎食目をつむって捨てる。
古いものを食べさせることは危険だし、同じものを出しても食べないことはわかっているから・・。冷凍できるものは初めに小分けにして、冷凍するようにしているけれど、それでもかなり捨てることになる。
主人が食欲を無くすと私も食べたくなくなり、食べるのが1~2時間遅れても平気で付き合うようになった。
以前、病気の叔母が「お父さんが『お前が食べないから俺も食べられへん。』って、意地悪言うねん。」って愚痴をこぼしていたけれど、今はどちらの気持ちも良くわかる。
主人がだるいと言うと私もそうなる。前は私が風邪気味の時に主人も同じように言うのがうざいと思ったけれど、今はそれは嘘ではなかったとわかる。夫婦ってこんなことまで似てくるものなのか・・困ったものだ。
ヨブが自分自身の格言を語っているとき、「私」を連発している。29章45回。30章54回、31章54回!そこでやっとヨブの言葉は終わった。まあ、「私の格言」なのだから当たり前だけれど・・。
ヨブに取って代わって、エリフも自分の宗教を語る。やはり「私」の連発。神さまの言葉に似ているけれど、そこには愛が不在であった。キリストがいなかった。
父なる神さまは、御子イエスの十字架の愛があるからこそ、どんなに厳しい言葉も、どんな理不尽も救いに至るのであり、すべて真実で正しいと信じることができるのだ。
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