石ころ

あざむかれる心(ヤコブⅠ章)

 

すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上から来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。
この父が私たちを、いわば被造物の初穂にするために、みこころのままに真理のことばをもって生んでくださいました。(17~18)新改訳2017



真理のことばであるイエス・キリストによって、父なる神が生んでくださったキリスト者は、被造物の初穂として取り置かれている存在である!


愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(19~20)


「それならなぜ、あのこと、このことが思うようではないのか」と神に怒る時、私たちは神の計画の初めから終わりまでを知らないからである。それがどれほどの恵みに満ちて、栄光にとんだものであるかを悟ることができないからである。
だから、「その怒りを遅くして、神に信頼しなさい。」なのだ。そうでないと、神の義の内に安息して住むことができないのだ。


ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(19~22)


みことばを信じて行わないことが、私たちの真実な姿ではない。騙されるな。心にみことばを植え付けられて、深く根を張っている者の願いはみことばの成ることである。
もし、いのちのことばを聞き流すことができるなら、それは自分の心を欺いているのだ。内なるキリストの導きに安息して、素直に行動すれば良いのである。


キリストが命じられる言葉は、それを実行するすべての必要を満たしてくださってある。出来もしないことを命じる人に真実な人は居ないが、主はご真実な方であり、すべてを持っておられるお方であるから、出来るようにすべてを備えて命じられる。
イサクは屠られる事はなかったのであり、イサクの心も平安で守られていたのである。


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