石ころ

苦い水(黙示録8章)

 

第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。(10)

 

第三の御使いの吹くラッパは天を打つものだった。

 

この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。(11)

 

苦い水というと旧約聖書のマラの水を思い出す。渇きった民に飲ませる水がなくてモーセは主に叫んだ。

 

彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。
モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。(出エジプト15:23~25)

 

この一本の木は十字架のよう・・それはいのちを与える木。今、私たちの叫びにはキリストが居られる。キリストはとりなしていてくださり、いのちの必要をすべて備えてくださっている。
求める者に、永遠のいのちに至るみことばを聖霊によって飲ませ、霊の必要をすべて満たして、みこころに導き入れてくださっている。

 

第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。(12)

 

空が打たれると地のすべてが狂いだす。創造の初めの規則性が失われ、創造の初めから神によって維持されていた季節の恵みが消えて行く。
地の豊かさと安全が失われて、命のために備える将来の見通しが全くつかなくなり、ただ、瞬間瞬間を生き延びるようになる。

 

昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。
しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。(ヨハネ:9~10)

 

このみことばを読める今は昼間である。しかし、太陽も月も暗くなる夜が来る。神はヨハネを通して光の有る間に、滅びることのないキリストの救いを受けよと、終わりの時を伸ばし、今日という時間を与えてくださっている。

 

また私は見た。一羽の鷲が中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」(13)

 

この災いは、この世が経験したあらゆる災いよりも厳しく、いかなる映像も表現できないほどのものである。みことばの警告を真摯に受ける者はいのちを得る。
御救いに与った私たちは、祈りをもって語り伝えなければ、立場によっては、滅びる人の血の責任を問われることになるかもしれない。

 

人は世の終わりが迫るにつれて、サタンの惑わしの中で聞きたいことだけを聞き、人の喜ぶことだけを語るようになるが、キリスト者は聖霊の導きの中で、時が良くても悪くても、みことば真っ直ぐに伝え続ける者である。


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