石ころ

主に身を避けて益となる(申命記28章)

 

これらすべてののろいが、あなたに臨み、あなたを追いかけ、あなたに追いつき、ついにあなたは根絶やしにされる。あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令と掟を守らなかったからである。(45)

 

如何なる人もイエス・キリストの十字架によるあがないを、自分の罪の故であると感謝をもって受け取り、救い主を礼拝して神との関係が修復されなければ、永遠に滅びるのである。

 

人は罪によって創造主を恐れて避けるようになり、生かすためのみことばを喜んで聴いて、従うということをしなくなった。そのことに拠って神の愛に満ち足りる平安を失い、安息する場を失ってしまったのである。

 

万能の神が無力な赤子として地に下り、命をもって罪の代価を支払ってくださった。そのような神の愛を現わすキリストを無視するなら、イスラエル人であろうと異邦人であろうと、神の愛から断絶された命は、わずかな時の間に生きる力を失って絶えて行くことになる。この世に永遠は存在しないから・・。

 

この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

 

御救いの不思議は人の血筋や優劣によって悟ることではなく、キリストが送ってくださった聖霊なる神によってみことばから教えてくださる。無知な者にも幼子にも分かるように・・。
聖霊はみことばを解き明かして、真理に飢え渇いている者の霊の目を開き、キリストが神の愛であることを教えて下さる。

 

これらのことは、あなたとあなたの子孫に対して、いつまでも、しるしとなり、また不思議となる。(46)

 

人が努力や功績に拠って、何時までも生き続けることがないのは誰もが知っている。良い人が長生きするわけでもなく、悪人が早死にするわけでもない。時が来たら王であろうと勇士であろうと、すべて死ぬことを人類は見て来た。

 

聖霊の導きに応答して、キリストの十字架を私の救の故と深い感謝をもって受け、感動して礼拝し神に愛されていることを知る時、渇いていた魂は安らぎを得て、主に安息し主と共に在る永遠を求めるのである。

 

主の深い平安と喜びはみことばに聴き従うことを求めて、キリストのうちに住まうようになり、キリストを宿す神の宮ともされる。
その身は地上に在る間も永遠のいのちによって生きる。問題や試練の真ん中であっても御国の心地を味わっているのである。

 

あなたがすべてのものに豊かになる中で、あなたの神、主に喜んで心の底から仕えようとしないので、
あなたは飢え渇き、裸となり、あらゆるものに欠乏し、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主はあなたの首に鉄のくびきをはめ、ついにはあなたを根絶やしにされる。(47~48)

 

みことばを無視して生きる時いのちを楽しむ自由を失う。命の心配と言う鉄のくびきを負って、あれこれの努力をし自分自身を鍛え財産や地位を備えても、それらを世に残して滅びることになる。

 

聖霊が解き明かす恵みと祝福の中で、みことばを求めて主に渇き続ける者は、時が良くても悪くても、神のことばに信頼して生きて、特に世に誉められるべきものは無くても、永遠の望みをもって神を賛美し続けている。


聖霊はキリストの平安を与えて、どんな時も変わらぬ神の臨在を示してくださるから。しかしその御声を聴き取るには、常に謙遜な耳を備えていなければならない。

 

あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。(イザヤ30:21)

 

神に愛されていながら聴き従わない民が味わう試練は、とても書き写すことができないほどの悲惨な様子が28章に記されている。

 

私がかつて「あなたはもう二度とこれを見ない」と言った道を通って、主はあなたを船で再びエジプトに戻される。あなたがたが、そこで自分を男奴隷や女奴隷として敵に身売りしようとしても、買ってくれる者はいない。(68)

 

かって、主がエジプトから脱出させてくださった多くの御わざも、唯一創造主なる神を信頼する関係を築き、喜びを持って従順する信仰としないなら、主を経験しなかった時よりももっと悪いことになる。

 

折々の試練に、真実なみことばに拠る助けや守りを経験しても、謙遜でなければ主を知る記憶とはならない。
自分を誉める人間の誇りとして変化して行き、たまたまとする曖昧が入り込み、数日でそれらの感動を失って行くのだ。そのように、生けるみことばによって主を覚えるべき経験をサタンに持ち去られて行くのである。

 

人が生きることとは地に産み出され、キリストに救ってくださった神の目的を、この身に完成して頂くことである。


「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と、高価な対価が支払われたいのちが主の喜びとなるためである。


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