石ころ

十戒③ (出エジプト20章)

 

安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。(8~9)

 

どのように働くかは生き方でもあり働くことは命を用いることでもあって、心に叶った仕事を得ることは本当に恵みである。
しかし、働くことよりも大切なのは休息であり、休息を知らずに働き続けることはロボットのようである。それは考える間を持たない作業となって、人が人らしくあるためには休息が必要なのである。

 

人は造り主の目的に沿って生きることが最も自然であり、主が人の必要のために備えて下さった休日を、神と人の交わりのために用いる時に心身の疲れは癒やされて、造られたままの健やかさを取り戻す。

みこころを行うために働き、手を止めて主を味わうために休むとき、神に従った平安よって身も心も満足することで、翌日からの仕事も生き生きと充実した日々となるのだ。

 

七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。(10)

 

家畜にも神は休息を準備される。まして、造り主なる神は人の霊、魂、体に何が必要であるかをよくご存じである。
神は愛を持って人を造られた。神は良い方でありすべての命令は愛に満ちている。従順する時に、世で疲弊した心や体は節度をわきまえて健やかに守られる。

 

霊に於いては安息日が日曜日とは限らない、安息日が一週間に一度でもなく、救われた者は常に主に安息している者である。
みことばも祈りも賛美も日々に絶えない者であるが、体も魂も休むことが出来る七日目の休日は、家族ぐるみで主に従順する平和の中で神を喜ぶ日なのである。安息日の命令は、世の戦いの中の避け所として神が備えてくださったものである。

 

それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。(11)

 

天地創造は六日間ですべての働きを終えられた。その神の完璧な備えの中に人は造られて置かれたのだ。
神の命令に従わず働き続けることは、足りないものがあるかのよう振舞うことであり、それは貪欲であって感謝を知らない行為である。貪欲は満ち足りることを知らないのでいよいよ貧しくなり、神に生かされる命の喜びを知ることも無い。

 

私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。(ピリピ1:21)

キリストに生かされて生き、キリストに召されて死ぬ者には死は永遠への入り口であり、すべての働きを終えて御許にゴールインすることである。

六日間、それはある人には六十年かもしれないし、100年かもしれないが・・、すべてを神のお導きの中で働いてみこころを成し終えた七日目には、永遠の安息が待っている。

 

生きるにしても、死ぬにしてもキリスト者の七日目は、主の宴会に招かれる日である。
人生は良いことばかりではなく、どんな人でも正しいことばかりではないが、神が仕事を終える日を完全な七日目としてくださり、すべてをキリスト・イエスに在って祝福に変えてくださった。このような人生を生きることは何と平安なことであろう。


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