石ころ

先の事どもを思い出すな



「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。」(イザヤ43)

変な言葉だと思った。けれど、これから先のことさえも過去の経験や知識によって思い煩ってしまうのが人の常。それこそが人の苦労の正体でもある。
そんなことはどうなるか分からないのに、眠れなくなるほどに心配をする。

「見よ。わたしは新しい事をする。」と主は言われる。
主は私たちに思いも寄らない新しいことを準備してくださっている。しかし、そのことに安息するには信仰が要る、信仰が無くては安息もない。

「わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」


主の山には御羊が備えられてあり、(創世記22:13)私たちは従順によってそこに行くだけでよい。主の備えによって信仰を証しさせてくださり、御名を崇めさせてくださる。しかし、山に登らなければ主の備えを見ることはない。

「しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。」
依り頼まない故に、神の良い計画は私たちに実現しない。だから、神の栄誉をのべ伝えられることもなくなる。

「あなたはわたしに、全焼のいけにえの羊を携えて来ず、いけにえをささげて、わたしをあがめようともしなかった。」
神の求めるいけにえとは何か・・

「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(サムエル)

みこころを知っていながらそれを手放さず、魂による計画を捧げようとしなかったことではないか。肉の思いに留まり、聴かなかったことにする。その結果は、恐ろしいことに神の栄誉を握りつぶすことになる。

しかし、
「わたしに思い出させよ。共に論じ合おう。身の潔白を明かすため、あなたのほうから述べたてよ。」

主はあきらめることなく忍耐を持って待っていてくださる。頑固な私たちを説得することを厭わないでいてくださる。主なる神は、私たちの不信仰の嘆きさえも聞いてくださるお方である。
「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」

私たちの罪を、この不信仰の罪をぬぐい去り、私たちを新しくしようと待っていてくださる。リセットして今、主に立ち返ることを待っていてくださる。
そのことは、移り変わる私たちには依らず、永遠に変わることのない「主ご自身のために・・」であれば、なんと確かな平安をもたらせる約束であろう!

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コメント一覧

ムベ
教えてくださって感謝です
「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」(1コリント1:21)

このことって、世界を180度変える出来事です。
価値観のこの破壊力はダイナマイト的ですね。
ダイエット
十字架のことば
霊によって新しく生まれた人には、
十字架のことばは、神の力です。

<十字架のことばは、滅びに至る人々
には愚かであっても、救いを受ける私たち
には、神の力です。>1コリント1:18

十字架のことばー十字架のメッセージ
神の力ーダイナマイトノ語源*デュナミス-霊ノ力の
力の顕れ。とパウロは言っています。
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