十二の部族を生み出したイスラエルは、息子たちを祝福して生涯を終えた。彼が息子たちに遺した言葉は、真実であるゆえに厳しいことを伝える言葉もある。死の間際に言葉を偽らなかったからである。ヨセフに遺された言葉は祝福に満ちていた。
おまえの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘の極みにまで及ぶ。これらがヨセフの頭の上に、兄弟たちの中から選り抜かれた者の頭の頂にあるように。(49:26)
この言葉を見るとき、ヨセフが特別な長服を着せられていたことは預言的である。この時ヤコブが知って着せたのではないだろうが、ヨセフが拒まなかったことは神への従順であったとわかる。
兄たちは、平和のうちにヨセフに在る神の選びに従順出来なかったことで、悪い思いに囚われて平安を失って来た。それでも神はヨセフの従順のゆえに、彼らにすべてを益としてくださった。
彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「ご覧ください。私たちはあなたの奴隷です。」
ヨセフは言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょうか。」(18~19)
父の死後、兄弟たちはヨセフの仕返しを恐れた。かってヨセフを妬んで殺そうとした記憶は、彼らの心に消えることなく、事あるごとに彼らの恐れとなっていた。
「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたも、あなたがたの子どもたちも養いましょう。」このように、ヨセフは彼らを安心させ、優しく語りかけた。(20~21)
ヨセフは自分が何ものであるかをわきまえている。一方的な神の愛を経験して、神の赦しと愛を知るゆえに人を裁くことは出来ない。
唯一絶対の権利を持つ神に、裁きではなく祝福を受け続けたヨセフが学んだことは、一方的な祝福であったから。
ヨセフは一貫して言葉を曲げずに、主に知らされたままを語り続け、多くの人々を養い父を喜ばせた。ヨセフは遺言にしたがって、イスラエルを神の祝福に在る者に相応しく葬った。
戦車と騎兵も彼とともに上って行ったので、その一団は非常に大きなものであった。
彼らは、ヨルダンの川向こう、ゴレン・ハ・アタデに着いて、そこで、たいへん立派で荘厳な哀悼の式を行った。ヨセフは父のため七日間、葬儀を行った。(50:9~10)
ヨセフは一族と共にエジプトに住んで、子孫を三代まで見た後、神のご計画の通りに生きた生涯を110歳で全うした。