石ころ

御父と御子のうちにとどまる (Ⅰヨハネ2章)

 

あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。(20~21)


キリスト者は、キリストの十字架のあがないによって救われた者であり、約束のみことばを拠り所にして生きている。聖霊によってイエスを主と告白することで救われ、今日も明日も永久までも守られてある者である。


信仰生活を導いて聖霊は時に相応しくみことばを思い出させてくださり、私たちはうちにいてくださる真理の御霊によって、敵の巧妙な偽りをも見抜くことができるのだ。


偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。
だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。(22~23)


かって、イエスをベルゼブルと言って故意に真理をねじ曲げ、彼らの救いのために行われた神の御わざを汚した宗教者。今も明らかな神のわざを言葉で汚して、キリストを否定する者はその瞬間に、真理から切り離されている。


みことばをすり替えたり、あいまいに誤魔化したり、世を混ぜ混んで語られることがある。しかし、純粋な神のことばを蓄えている者には、聖霊は正しいみことばを次々に思いださせて、恐れずに語る勇気をくださる。その守りは三位一体の神の備えである。


あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。(24~25)


救いの日に聴いたみことばに止まることは、敵のことばに攪乱されて、奴隷のくびきを再び負わされないためである。惑わしが入る余地がないほどに、祈りとみことばの親密な交わりが続いている者にある守りである。
今日の御子と御父の交わりに在ることは、今、永遠のいのちに在ることなのだ。


キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ5:1)


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