石ころ

みことばを心と魂に刻み主の証によって生きる(申命記11章)

 

わたしは時にかなって、あなたがたの地に雨、初めの雨と後の雨をもたらす。あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる。
また、わたしはあなたの家畜のため野に草を与える。あなたは食べて満ち足りる。(14~15)

 

主の祝福の雨は春には種を芽吹かせ苗を育てて、秋には実を熟させる。人は主に信頼しつつ置かれた所で、自分の成すべき働きをして命の糧を収穫する。それは天地創造の神の御わざをあがめ主を喜ぶ時である。

 

祝福の雨を注ぐ時は主のタイミングである。時に備えてみことばに耳を傾けつつ、期待して時を待ち主の豊かな恵みを経験する。
人は備えられものを収穫し祝福を受け、主を賛美し喜ばなければなければならない。

 

気をつけなさい。あなたがたの心が惑わされ横道に外れて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。
そうでないと、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざし、雨は降らず、地はその産物を出さなくなる。こうしてあなたがたは、主が与えようとしているその良い地から、たちまち滅び去ることになる。(16~17)

 

主を信頼して待つことが出来ずに、明日を思い煩って主の守りから彷徨い出てはならない。神の愛を離れたなら人は必ず滅びるのだ。

もし人の命が100年位で死んで終わりになるものなら、神が愛する御子を十字架に掛けるために遣わす必要はなく、皆好きなように生きることが出来る。その地上の時が数十年長くても短くても、永遠から見ればわずかな差に過ぎない。

 

 

しかし罪の無いキリストが、人の罪を負って十字架で恥と痛みの死を経てくださったのは、神は人を滅びるようには造られなかったからである。
永遠のいのちを主とともに神の喜びとして生き、創造主の栄光を現わすものとして造られたからである。

 

あなたがたは、わたしのこのことばを心とたましいに刻み、それをしるしとして手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。(18)

 

みことばを自分の心に刻んで覚えさせ、魂はそのことばを常に選びとり、手に結び付けたしるしはそれを実行させる。額の記章は、神に従順して生きる者であることを現わしている。

 

キリスト者が信仰を明らかに示して生きるとき、主がその生き方を導かれる。たとえ迫害を経験してもそれはわずかな時であり、肉体の死以上の迫害は起こらない。しかし神の祝福は御許に至らせて永遠に続くのである。この祝福を真に悟らせてくださるのは聖霊である。

 

主は如何なる世に在っても大切な人には執り成してくださり、一時的な迫害を受けても、主の祝福を彼らに見せて神の子どもであることを証してくださる。

御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。(ローマ8:16)

 

それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。(19~20)

 

主に在って生きて神の祝福を子孫に証するのである。主が良くしてくださったことを語る時は喜びと幸いの時であり、苦難の中で主の平安を現わすなら、永遠のいのちという資産を受け継がせることになる。

 

それは、主があなたがたの父祖たちに与えると誓った地で、あなたがたの日数とあなたがたの子孫の日数が、天が地の上にある日数のように多くなるためである。(21)

主の備えによって養われる者が賜るいのちの日は、世で尽きる年数ではなく永遠である。


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