石ころ

王室の役人が聴いた言葉(ヨハネ4章)



イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。
この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。
そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」

その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。(ヨハネ4:46~50)


彼は自分の地位を用いず、たまわったみことばを持ち帰った。死にかけている息子が「治っています」という、一つのみことばを信じて帰路についた。それが彼の信仰である。

彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。
そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。(ヨハネ4:51~53)


彼はみことばを聞いた時刻によって、しるしと不思議を見たのだ。信じたみことばは聞いた時に成就してるが、その事実は後に見る事になる。
「しるしと不思議を見ない限り、決して信じ無い」とイエスさまは言われた。彼と彼の家の者がみな信じる信仰は「しるしを見た」時に生まれたのだ。主はみことばに拠り頼む者の信仰を成長させてくださる。

キリスト者の日々に臨在のしるしを見せ、信じたみことばを日常の中に現してくださる。みことばに導かれて歩んだ日々が、綿密に組み立てられた主のプログラムであったと知る時、生きて働かれる主によって、動じる事のない信仰が育てられて行く。

彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼(ユダ)に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ13:27)

サタンに働く時を許すのも主である。そこでも主のご計画は遂行される。すべての時のうちに神さまの良いご計画が成って行くことを知っている。
ただ、もうユダの働きは要らない。イエスさまが「生まれてこなかった方が良かった」と言われた「ユダにはなるまじ」

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