石ころ

形式的な祈り




型どおりの祈りには、聖霊の働かれることはあるのだろうかと思っていた。初めて教会に来た人が、形式からお祈りを学ぶことになるのは残念だ。

キリスト者のお祈りは主との親しいお交わりであり、霊の深呼吸であり、世にあっての信仰告白の場でもある。言葉にならない祈りは絶えることなく続いている。
決まり文句のお祈りは人に語っているようで、主に対してとても冷たく感じられた。

主の祈りを聖書どおりにゆっくりと祈る時、言葉は同じでも中身は多様である。主に赦された事々を思い出して感謝があふれたり、ニュースで見た飢えた人々を思って祈るときがあり、今霊の渇きを満たしてくださるようにと願っていることもある。

形式的なお祈りをするよりは、黙って聖霊の執り成しにお委ねするほうが良い。そうして、共に主の臨在に接することができたなら、どれほど素晴らしいことだろう。私はいつも兄弟姉妹と共に主を味わい、分かち合いたいと願っていた。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8:26)

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