石ころ

うちなるキリストの現れによること(テトス2章)

 

老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。
同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。
そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、
慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。
同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。(2~6)


すべてのことを完成してくださるのは主である。
これらのことを、人間的な頑張りで行うと取り繕うこととなり、大切な所で人の不足のボロが現れることになる。
私たちに語るべきことばを備え、良いわざを行う力と、知恵と、タイミング良く人の必要を満たすことを導いてくださるのは、キリスト者のうちにおられる聖霊である。

キリストとともに住み、自分自身にみことばを語り続ける中で、キリストに似せられて行き、その人はキリストのわざを行っていることに気づかないものである。


また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、
非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。(7~8)


ことばなる方から出て来るみことばを、そのまま語る以上に健全なことばはない。それはいのちを得させる真実な愛である。
このことはキリスト者の正義であり、反論する者には必ずそのことを恥じ入る時が来る。


というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、
私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。(11~13)


人の造り主である神は、信じるすべての人の救い主である。すべての人はそのことを知るようになるが、死後の裁きの座で知るなら手遅れである。
主を知ることによって世を愛するなら、みことばを語り続けずには居られなくなるのだ。

神にたまわる永遠の望みは、この世のいかなるものとも比べられない、栄光に富んだものなので、その事実を真に知ると生き方は変えられ、ほんとに価値あるものを知る喜びに満ち足りるようになる。


キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。(14~15)


神の創造された人をエデンで誘惑して、死をもたらせたサタンは不法である。神は人を死ぬ者として造られなかった。永遠に御側で居る神の喜びとして、神に似た心を持つものとして造られたのだ。


心が罪に占領されて神との関係を断絶された時、キリストは十字架の血潮にきよめて、信仰者の霊のうちに来てくださり、初めの交わりを回復されつつある。

しかしキリストの再臨によって創造の初めの関係が回復されると、罪を知る前のアダムやエバのような、親密な神との交わりを経験するのである。


あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。(1)


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