石ころ

栗み~つけた


 栗の木はもう、小さいながらトゲトゲの実をいっぱい付けている。私は毎年、栗の実の誕生を見たいと目を皿のようにして、花が咲いた木を見上げているのだけれど見つけるのは残念ながら、ちゃんと栗になってから。あの長い花と丸い栗はなんだか結びつかないし、トゲトゲのイガがいつ出て来るのか興味があって私にとって栗はちょっと不思議。

 おお!田圃は鮮やかに盛り上がる緑の海。濃い緑から浅い黄緑までグランデーションを描きつつ、揺れて波打つ・・・美しいというより、圧倒されるような力強さ。
「 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。」(マルコ4:28)を思い出す。

 でも、主を知らない人は言うだろうな「とんでもない、私が苦労をして育てたんだ。」と。そう言いつつも何かの神々を祭り、本当は当てにも頼りにもしていないけれど一応奉る神。信じてはいないことは彼らの言葉が語っている。

 
 救われた喜びとは居場所を見つけたと言うこと。罪を犯してしまっても、失敗をしても、たまたま成功をして自分とは思えない評価をされた時にも、安心して戻っていける場所。イエス様が備えて下さった私の居場所。


「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。 」(詩篇91:4~6)

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