石ころ

鹿鳴く



鹿鳴きて
悲鳴のごとく
ひとりなり

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コメント一覧

ムベ
まこさんコメントありがとうございます
みことばのパンは分かち合うことができるのですが、
聖霊の導きはそれぞれに、直接主から賜るもの。
分を越えるなと・・悩むべきではないと主に学びました。
脱出の道です。お憐れみだと思いました。

ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。(黙示録2:25)

あはは・・誤字、私毎度のことです。コメント嬉しいです。
まこ
誤字、すみません。
お恥ずかしいです。
まこ
参加刺させてくださいね。

> の世では完成されない不自由の内に在って、国籍である天に帰る日を待ち望んでいます。

本当に全くそうであります。同感であります。

つい、先日、私もヨブ記読んだばかりです。
自分も含めて、なんと人は的外れな助言や御節介を口にしてしまう存在かと、身につまされた次第です。
昔も今も人の本質は変わらないんだなあと思いました。
どこまでも愚かで無知な人間、どこまでも義であり聖であり、愛深く、完全な主。
そのことを知ることができただけで、この世に生を受けて良かったと思います。
ムベ
電気屋さんコメントありがとうございます
日暮れ時に裏山で、しきりに鹿が鳴くのです。
悲鳴のようなその声は、鹿には青春の声なのでしょうが・・、
今は・・、秋の夜長の侘びしさを助長するものです。

百人一首で親しんだ句ですが、お住まいの戸隠れと深いご縁があるのですね。
猿丸大夫さんの境遇は、キリスト者の淋しさとも重なるように感じました。
この世では完成されない不自由の内に在って、国籍である天に帰る日を待ち望んでいます。

ヨブ記を読んでおられるのですか、また、お話ししてください。
電気屋
「おくやまに 
もみぢふみわけ なくしかの
 こゑきくときぞ あきはかなしき」

猿丸大夫の歌と言われてますが

戸隠に猿丸という地方があり、わたしの家から歩いても10分程の所
聖徳太子の孫とも天武天皇の子とも言われる高貴な生まれであったのに生まれつきの障害の故に京からの都落ちは、事実ならさぞ辛い事。

彼が住み開墾した所は高台の断崖近くにありますが、どんなに澄みきった日でも京までは望めません。
ただそのお方が来られた故に、村の人々は当時最新の医療や進んだ考え方を教えて頂く機会ともなりたいそう喜んだと聞きます。

最近はヨブ記から教わる事が多いです。
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