石ころ

キリストに在る兄弟愛(Ⅰペテロ3章)

 

同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。(1~2)

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。(4)


キリスト者とされた夫婦の間には、紛れもなくキリストが居てくださり、まだ信仰に無いうちから聖としていてくださる。また、子供たちも聖であるといわれた。それはみことばなのでそれを否定して汚すものは神に逆らう。


どのような善行によって何を用いて信仰に導こうかなどと、手段を講じる必要は無い。それこそ、裸の付き合いである家庭で、鎧を纏って構える不自然な行為である。
神さまが、良きご計画のままに聖霊によって導かれることであり、信仰は個人的なことなので、自分自身がキリストに信頼して共に居ることで充分である。


柔和で穏やかな霊はうちにおられるキリストである。真のキリスト者から、泉のように絶えず流れ出ているものである。私たちが着せられているものは、鎧ではなくこのキリストの霊である。


むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。
たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。(5~6)


キリスト者とされた者の善は、神を恐れる故に、人を敬ってはいても恐れることのない力を持っている。キリストから出て来る力によって、「はい」は「はい」と言い、「いいえ」は「いいえ」と言うのである。


同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。(7)


主に在る家庭には平和がある。そこはキリストのうちにあり、聖い愛が満たされていて偽りのない所だからである。
主に在る者は穏やかに互いを敬う心が与えられ、互いの成長を静かに待つことができるのである。それはキリストに信頼しての望みである。


最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(8~9)


キリスト者のうちに在る兄弟愛を、キリストに在って信じている。共に主の祝福をもっともっと受け継ぐ望みを、祈りの中で持ち続けている。
私はそれを決して手放さない。


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