石ころ

狭い門 (ルカ13章)




 言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。(ルカ13:5)
イエス様ははっきりと警告された。人類の救いはキリスト・イエスに頼む以外はないのである。

ぶどう園のいちじくは3年待っても実を付けなかった。もう一年肥料を施し実を結ぶ時をイエス様は執り成し待っていてくださる。
しかし、なを実を付けないなら切り倒される日は決っているとある。

エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。(ルカ13:34)


 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた
そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。
イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、
その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。(ルカ13:10~13)

イエス様は、わざをもって神の御子であることを見せて居られる。
負いきれない律法に縛られ、責め続けられている者を御側に呼び寄せ、癒しを宣言して解き放ち、御手を置いて清められた。主に触れられた者だけが聖くなるのだ。

不自由から解放され癒された者は神を賛美し、それを見た者も共に喜ぶ、そのために癒されたのであるから。
律法にあぐらをかく偽善者が神の国を共に喜ぶことはなく、その闇は深い。共に神を賛美できないことはどれほど神から遠いことだろう。


 喜ぶ人々にイエス様は話される。
そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」(ルカ13:18)


空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。(マタイ6:26)

辛子種を身近な庭に蒔くなら、このような豊かないのちに溢れる神の国がその人に到来する。

また言われた。「神の国を何にたとえようか。
パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。(ルカ13:21)


わずかなパン種は、その豊かさを持って養ういのちは隅々にまで及ぶ。
神の国は律法にはよらず、神の備えられた福音である。

「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。(ルカ13:24)新改訳

辛子種もパン種も狭い門も生まれながらの人の目にはつかない。
広い門は誰の目に煌びやかであり、賑やかにワイワイと目指すことができる。そこに入るための備えは世に溢れている。

狭い門は「見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」イエス様のようであるから、目を止める者はなくただ聖霊によって目を開かれた者だけが見つけることができるもの。努力はそれを求めることであり、捜すこと、たたくことである。

「見いだす者はまれです」(マタイ7:14)新改訳 と書いてある。
稀にしか見つける人がいない門には、それぞれがすべてを捨てて一人で入って行く他ない。
神の国に入れるのは、主に聴いた神の国の祝福を信じたからであり、入れなくなる時があることをわきまえたからである。

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