石ころ

主の眼差しとペテロの涙(ルカ22章)




 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31~32)


サタンは、神さまに弟子をふるいに掛けることを願って許された。確かにサタンは私たちをもある時ふるいに掛ける。
しかし、そのことによって弟子の信仰が無くなることはない。真に弟子であるならふるい落とされることはない。なぜなら、始めにイエスさまが「信仰が無くならないように」祈っていてくださるからである。

 イエスさまが捕らえられた時、ペテロは誓いを破って、予言通りにイエスさまを三度知らないと言った。しかしペテロは弱さの中で、イエスさまの眼差しを見ることができる場所に留まっていたのだ。
主を離れては終わりであるが、主の眼差しの中にいるなら完全に守られる。弱さゆえに何を言おうが何をしようが、主を見上げるとき立ち直る涙が備えられている。

主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。
彼は、外に出て、激しく泣いた。(ルカ22:61~62)


その経験はサタンの計略を覆して、いよいよ主の御愛の深さと、赦しを経験する時となるのである。ふるいに掛けられることを通らなければ、見ることのない主の眼差しがあり甘い涙があるのだ。
私たちは誓わなくても良い。ただ、信頼して主の眼差しの中に居ればよいのだ。泣いたり笑ったりしながら・・。

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