先日から体調が悪くて、聖書を読むこととやむを得ない家事をするくらいで何もできない。
「どうしても必要なことはわずかです。」を思い出しながら動けないときには仕方がないと思うことにした。それに足の具合も悪くて動かさない方がよい、と整骨医にも言われているからとあきらめて、最近は寝ころんでBSで音楽を聞いたり・・金魚をながめたり・・ほとんどぼんやりしている。
思い当たる薬は買って来て飲んではいるがそう簡単に効くわけもない。体が弱ると右耳のヘルペスが出てきて痛む。次々と日和見に弱いところが出てくる。「なあに、すぐにケロッと治るさ、そしたら、あれもこれもしたくなる。ちょっとした夏バテだろう。」と自分に言いつつ・・。
病院に行く元気はない。先日足を診てもらうために、思い切って整形外科に行ったけれど、なんと午前9時過ぎに行って、「本日の受付は終わりました。」だった。夜の診察に回してくださいと頼んだけれど、それも受付を始める前に来て待っていた人たちで埋まっているとのことだった。呆れてもう二度と行けないとあきらめた次第。
でも、それでゆっくりと聖書を読むことはできる。Ⅱサムエルを読んでいる。
ダビデは大きな罪をいくつか犯しているけれど、いつも主を畏れていた。我が子、アブシャロムに追われて逃げていくときの姿は驚きだ。戦おうとせずにすぐに逃げ出した。また多くの戦士を引き連れているその前で、泣きながら逃げている。ののしられ呪われ、石をぶつけられてもされるままになっている。ひたすらに逃げるだけなのはサウルの時と同じ。いくら我が子といえども殺されそうになったら戦うのではないか。日本でも戦国時代にはざらにあった話。
でも、ダビデはこのすべての出来事の中で、主を畏れて主のみこころがなるようにと願い結果のすべてを神様にお委ねしたのだろう。それにしてもダビデはなりふり構わず踊って主を喜んだり、泣いて逃げ回ったり・・、その姿は、王という自分の権威に執着していてはできないこと。ダビデは神様の前に本当に無邪気に見える。きっとそんなダビデを神様は愛されたのだろうと思った。
「彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。」ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」(Ⅱサムエル16:10~12)
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