石ころ

息子と聖書を読む 2007.8.25

 
ウザのことについて、今日は息子とゆっくり話し合った。
「もし、神の箱がひっくり返ったらどうなったのだろう・・箱の中身を見てたくさんの人が死んだことがあっただろう・・」
「それはわからないけれど、神様が箱をとおして私たちに、神様を知るためのメッセージを送っておられるということだと思うから、すべては神様のみこころだと思う。そもそも、神の箱は担ぐべきだったでしょう・・人の勝手な判断で神様の方法を変えるということは神様を軽んじているということ。」
「ウザはどうするべきだったのだろう」
「ウザは通りすがりの人じゃなかった、その車を制御していたのだからよく見張る責任ががあると思う。危険を察したときにはすぐに止まるべきだったと思う。箱がひっくり返りそうになったとき安易に自分の手を出したのは、自分の仕事の重大さがわかっていない。神の箱がひっくり返りそうになったとき、その行進をただちに止めるべきだったと思う。信仰の生活の中で、違う!と、危険!と気が付いたときにはすぐに『止めて』静まることがとても大切だと思う。神の箱を無事に運ぶことができるのは、そこに神様の赦しと助けが無ければできない。今、私たちがみこころを行おうと思うときにも、神様の赦しと助けが必要だと私は思うよ。」
「今、神の箱が見つかったとしても、あまり意味はないね。」
「歴史的な意味はあると思うけど・・、イエス様のあがないによって私たちは赦しの中にいるからね。恐れることはないよね。」
「十字架によって、至聖所の幕が切り落とされ、恐れずに神に近づくことができるようにされているということだね。」

 今、この恵みの時代に居るということはなんと感謝なことだろう・・。イエス様によって私たちは多くの自由の中に居る。一方的な赦しと救いの中にいる。だからこそ、この自由の中でみことばに聴いて、助けを受けあやまりのない歩みをしたいと思った。

  
「神が、主の契約の箱をかつぐレビ人を助けられたとき、彼らは七頭の雄牛と七頭の雄羊とをいけにえとしてささげた。」(Ⅰ歴代15:26)

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