15章でも、16章でも同じことが語られている。神さまから頂いている命を用いて、神の国を求めなさいということである。
そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。(ルカ16:9)
富とは神さまが、人に託してくださっている命の時間である。不正とは、サマリヤの女の不正、ザアカイの不正、放蕩息子の不正、ラザロにもある不正・・、この世の命は不正を抱えている。
不正が無いのは唯一イエスさまだけである。だから人が救いを追い求める時に、イエスさまに出会う。罪を持たず、正しく命を全うされた律法の完成であるイエスさまに、己を託して救いを見出すのである。
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。(ルカ16:10)
目の前の世に焦点を当てる者には、永遠は辛子種のように小さく、殆ど見えないのだ。そうして神の財産である人の命が、神のもとに戻ることなく消費されて行く。これこそ不正なことである。
永遠を見つめる者は、世の日々を生きる時も、神の国に焦点を当てて生きるようになる。世の成功にも失敗にも振り回されることはなく、イエスさまと共に平安な命を生きて、御救いのわざを証しするようになる。目の前に大きく迫る世にあっても、神さまに忠実に生きることができるようになるのだ。
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(ルカ16:13)
神を悲しませる人の不正は、神の財産である命を、神の国に返すために用いようとしないことである。
命のある間にすべての時を用い、あらゆる手立てを尽くして、賢く計算をして、神の国を求めよと教えられている。
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