もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。(1)
神の右の座におられて、キリスト者を執り成していてくださるお方は、うちに親しく居てくださるお方でもある。
だから弱さゆえの罪も、的を外す愚かさもご存じで、執り成していてくださることは何という平安であろう。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(2)
それゆえ、キリスト者は世の心配事に心を縛られることなく、ひたすら主を、みことばを求めるようになるのだ。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。(3~4)
世に対しては死んでいるから、天の国籍を持っているのだ。キリストと共に十字架で死んで、罪の無い新しいいのちによみがえらされた者である。
主のご用を果たして御国に帰った時、放蕩息子を待つ父のように迎えてくださることを知っている。目の涙をすっかり拭い去ってくださることも知っている。
主が来られる日をひたすら待ち望み、近しく礼拝する明日を思うと、心楽しく新しい力が湧いてくるのである。