イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。(マルコ7:24)口語訳
イエスさまも人に会いたくないと思われたときがあったんだ・・、パリサイ人や悟りのない群衆、なかなか分からない弟子に疲れておられたのかなぁ・・。
「娘から悪霊を追いだして下さい。」異邦人の女が懇願した時、約束の民ではないとは言え、主のお言葉はかってなく冷たかった。
イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。(マルコ7:27)
「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」
「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」(マルコ7:29)口語訳
「じゅうぶん」とは何を満たしたのだろう・・と思った。「充分、粘りました」ではないだろう。自分の願いに固執する者に、主が聞き従わなければならない理由は何もない。
それは、イエスさまのご真実なご性質ゆえに、ご自身に信頼する者を愛せずにはいられないお方だと、主を「知って」ひれ伏す女の礼拝が受け入れられたのだろうと思う・・。
また一方で、この時イエスさまのご機嫌が悪かったのかな・・なんて・・。
イエスさまはいつでもニコニコとして、何でも「ハイ、ハイ」と聞かれる、そんな愛のロボットのような超人ではないんだって・・、
それほどに、完全に人と成ってくださったのだ。体も魂までもそっくり人であられたのだと・・そのことが近しく、嬉しく思う。
疲れや葛藤や悩みも知っていてくださる主。
それにしても小犬とは・・ああ!これは私のことなんだ。
異邦人であって、無駄飯を食うだけ何の役にも立たない小犬。可愛くさえもないからペットとしての役にも立たないだろう・・。
でも私は今、主の食卓にいつも主の家族のように居らせて頂いて居るではないか。
食事をし、団らんの席に居らせて頂いているではないか・・大きな顔をして座って居るではないか!
それは主のなさったこと・・。主は引き上げ、お側に置いて「アバ父」の家族としてくださった。何の資格もない者を・・。
姉妹と話している時、「メフィボシェテなんだね」と言われた。
そう!そうだね。
仇の子であり、足なえ自分では何処にも行けない者、隠れて生きてきた者を、惜しんで探し出し運んで王の食卓に座らせて下さった。
実は、誰だって主の食卓に座る資格なんかないんだ・・。
でも、主はパンを与えたいと、豊かにあまるほどに与えたいと願って招いて下さっている。
「テーブルの下のパン屑を・・」いや、毎日、毎日豊かな宴会に与っている!
今日も、じわりと味わうみことばのパンはこんなに甘い・・。
「そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。
・・・
この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。」(ヘブル6:17.19)
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