石ころ

世捨て人ではないキリスト者(Ⅰテモテ2章)

 

まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1)



このことは、思っても見ないほどの重い命令であった。「すべての人のために祈れ、」身近な人のためには、その人の何か困難を知ると祈ることが出来る。必ずしも好意だけでは無くても、キリスト者として其処に置かれていることは祈るたためである。


しかし、王や国の代表者、地域の代表者に対しても祈るには、知らなければ何を祈って良いのかわからないのだ。
世の事に関心を持たず、無関心で居ることを戒められていた。世にも関わり、それらを祈りによって神さまの元へ持って行けと命じられていた。


それは、最も私の苦手なことであった。しかし、そのことを命じられたのなら、主がすでに関わって居てくださることであり、祈りを導いて、祈るべき事を気づかせてくださるだろう。「アーメン」と従順するなら。


それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(2~3)


王がどういう人であるかを判別してとは書かれていない。それは神のなさることであり、私たちは、指導者のために願い、祈り、とりなし、感謝を捧げなさい(新改訳2017)とある。
祈りを導いて問題に介入してくださる主に、先取りの感謝を捧げつつ事を申し上げるのだ。
確かにそれは、平安で静かな守りのためであった。


神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ──私は真実を言っており、うそは言いません──信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。(4~7)



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